この記事は何をしないか
数学を教えません。記号の読み方だけを渡します。
学習ノートを開いて が出てきた瞬間に閉じてしまうとき、詰まっているのは中身ではなく表記です。ここを越えると、同じ式が「面倒だが言っていることは分かる文」に変わります。
楽譜と同じです。♯ が半音上げる印だと知っていれば、弾けなくても「ここで音が上がるんだな」とは読めます。逆にそれを知らないと、どれだけ音楽が好きでも紙の上はただの模様のままです。この記事でやるのは ♯ の説明であって、演奏の練習ではありません。
以下、記号ごとに 読み方 / 意味 / たとえ / 理解の仕方 / 覚え方 の5つを必ず書きます。全部を覚える必要はなく、詰まったときに戻ってくる索引として使ってください。
結論:記号は暗記でよい。ただし由来とセットにする
記号の意味を毎回、数学の歴史から推理し直す必要はありません。最初は「Σ は全部足す」「⊙ は同じ位置どうし」のように暗記して大丈夫です。
ただ、文字や形に手がかりがあるものは、それを一緒に覚えると忘れにくくなります。Σ は sum の連想、T は transpose の頭文字、∇ は坂の向きを思い出す形——という具合です。反対に、θ や η のように著者の慣習で選ばれる記号もあります。由来は暗記の補助輪であって、別の試験科目ではありません。
文字の見た目が、すでに情報です
同じ「a」でも、書体が違えば別のものを指します。ここが最初の関門で、しかもどのノートにも書いてありません。
| / / | 書体による使い分け |
|---|---|
| 読み方 | どれも「エー」「ダブリュー」。声では区別しません |
| 意味 | 細い小文字=数がひとつ(スカラー)。太い小文字=数が縦に並んだもの(ベクトル)。大文字=数が縦横に並んだ表(行列) |
| 由来 | 量の種類を見た目で区別するための数学の慣習です。特別な文字の意味が隠れているわけではありません |
| たとえ | 体重が1つの数、健康診断の結果一式がベクトル、家族全員ぶんの結果表が行列 |
| 理解の仕方 | 太字を見たら「1個じゃなくて束で来る」と思えば足ります。中身が何個あるかは、たいてい問題になりません |
| 覚え方 | 太いほど中身が多い。 細字1個 → 太字1列 → 大文字1枚 |
ギリシャ文字(、、)が出てくるのも、アルファベットが足りないからであって、それ以上の意味はありません。
上付きの は、べき乗ではありません
実際に一番よく誤読されるところです。
| 肩に乗った番号 | |
|---|---|
| 読み方 | 「エー・エル」。「エーのエル乗」ではありません |
| 意味 | 番目の層の 。下付きの も同じで「 番目の 」 |
| 由来 | 上付きは「何乗か」と衝突するため、層番号にはカッコを付けるという記法上の慣習です |
| たとえ | 選手の背番号です。10番の選手は1番の選手の10倍強いわけではありません |
| 理解の仕方 | 深層学習の式は「何層目の・何番目のデータの・何時刻の」を常に言う必要があるので、名札が増えます。式が難しいのではなく名札が多いだけです |
| 覚え方 | カッコが付いていたら番号。 (カッコなし)は2乗、(カッコあり)は2層目 |
この読み分けを外すと、式全体が別の意味になります。逆に言えば、カッコの有無を見る癖さえ付けば、この種の誤読は起きません。
——「ちょっと動かすと、どれだけ動くか」
| 偏微分 | |
|---|---|
| 読み方 | 「ラウンド エル・ラウンド ダブリュー」。 は「ラウンド」「デル」 |
| 意味 | だけを少し動かしたとき、損失 がどれだけ動くか。他は止めたまま |
| 由来 | 変数が複数あるときに「一部だけを見る微分」を通常の と区別するための記号として定着しました。ここは「部分」の印と覚える場所です |
| たとえ | ミキサーのつまみです。「このつまみを1目盛ひねると、音がどれだけ変わるか」。値が大きいつまみほどよく効きます |
| 理解の仕方 | 分数の形をしていますが割り算ではありません。上のものが、下のものにどれだけ反応するかを1つの記号として書いているだけです |
| 覚え方 | 下が原因、上が結果。 (結果)(原因) |
関連する記号も同じ家族です。
| / / | ∂ の親戚 |
|---|---|
| 読み方 | 「ディー」「ナブラ」「エフ・ダッシュ」 |
| 意味 | はつまみが1本しかないときの 。 は全パラメータぶんの を束ねたもの(=勾配)。 は関数 の効き具合 |
| たとえ | がつまみ1本、 はミキサー卓ぜんぶの設定を一度に書き取ったメモです |
| 理解の仕方 | 読者としては と を区別しなくて構いません。「動かしたときの効き」という一語で全部通ります |
| 覚え方 | は三角形が下を向いている=下り坂の向き。勾配降下法が下る方向そのもの |
かけ算が3種類あります
日本語だと全部「掛ける」なので、記号でしか区別できません。ここは読み分けが実利に直結します。
| (記号を書かずに並べる) | 行列積 |
|---|---|
| 読み方 | 「ダブリュー・エー」。間に何も読みません |
| 意味 | 表とベクトルを混ぜ合わせて、別の形のベクトルを作る |
| たとえ | レシピの表に材料の量を通すと、料理の分量表が出てくる。入れたものと出てくるものは別物です |
| 理解の仕方 | 入れ替えると結果が変わります()。並び順そのものが意味を持っている、と思ってください |
| 覚え方 | 記号なしの並置=混ぜる。 一番強い掛け算が、一番書き方が地味 |
| 要素ごとの積(アダマール積) | |
|---|---|
| 読み方 | 「まる」「アダマール積」「要素ごとの積」 |
| 意味 | 1番目どうし、2番目どうしを素直に掛ける。形は変わりません |
| たとえ | 商品リストと個数リストを、行ごとに突き合わせて金額を出す作業です |
| 理解の仕方 | 混ぜない掛け算。**上の行列積との違いは「他の要素と混ざるかどうか」**の一点です |
| 覚え方 | 丸の中に何もない=その場から動かない。混ぜないほうが |
| 転置 | |
|---|---|
| 読み方 | 「ダブリュー・てんち」「ダブリュー・トランスポーズ」 |
| 意味 | 表の縦と横をひっくり返す |
| 由来 | 上付きの は transpose の頭文字です。行列を転置するとき、操作名をそのまま肩に置いています |
| たとえ | 名簿を「行が人・列が科目」から「行が科目・列が人」に組み替えるだけ。中身は1つも変わりません |
| 理解の仕方 | 逆伝播で転置が出てくるのは、行き(入力→出力)に使った表を、帰り(出力→入力)に読み直しているからです。新しい情報は増えていません |
| 覚え方 | は ではなくひっくり返す印。記号の形自体が倒れています |
と は for ループです
| / | 総和・総積 |
|---|---|
| 読み方 | 「シグマ」「パイ」 |
| 意味 | から まで全部足す/全部掛ける |
| 由来 | はギリシャ文字 sigma、 は pi。総和・総積を短く書く記号として定着したものです |
| たとえ | レシートの合計欄です。1行ずつ足していく作業に名前を付けただけ |
| 理解の仕方 | プログラムで書けば for i in range(n): total += x[i] の1行。数学の記号のほうが、むしろ短縮形です |
| 覚え方 | は Sum の S、 は Product の P。ギリシャ文字の頭文字がそのまま |
実際に読み下してみます
冒頭の式に戻ります。逆伝播の中心にある1行です。
ここまでの5つのカードだけで、左から順に日本語になります。
| 部分 | 読み |
|---|---|
| 層目の「 と名付けた値」(太字なのでベクトル) | |
| ひとつ下流の層の重みを、ひっくり返したもの | |
| ひとつ下流の層の | |
| その結果に、活性化関数の効きを混ぜずに掛ける |
つなげると「この層の は、ひとつ下流の に、下流の重みをひっくり返して掛け、活性化の効きを要素ごとに掛ければ出る」。それだけです。
そして下流の から上流の が出るということは、出力側から順に1回ずつ計算していけば全部揃う——というのが誤差逆伝播法の言い分になります。式が言っているのは手順であって、哲学ではありません。 続きは 誤差逆伝播法のノート にあります。
記号そのものに固定された意味はない
最後に、記号そのものに固定された意味がないものを置いておきます。これらは著者が変数に付けた名前で、よくある役どころはあっても、深読みするだけ損です。由来を探すより、その式の中で何を指しているかを確認します。
| 記号 | 読み方 | 慣習的な役どころ | 覚え方 |
|---|---|---|---|
| シータ | パラメータ全体(重みとバイアスの総称) | 学習で動かすもの全部の代名詞 | |
| デルタ | 途中まで計算した誤差の取り分 | 逆伝播の主役だが、名前は仮のもの | |
| イータ | 学習率(1回でどれだけ動かすか) | アクセルの踏み込み量 | |
| イプシロン | ごく小さい数 | 「ほんのちょっと」専用の文字 | |
| ラムダ | 正則化の強さなど、効きを決めるつまみ | ブレーキの効き | |
| / | エル | 損失(正解からのズレの大きさ) | Loss の L |
理解の仕方は共通です。 「 とは何か」で詰まる必要はなく、その式の中で何と呼ばれているかを見れば足ります。名前は文脈ごとに変わりますが、記号の読み方は変わりません。
想起チェック
a に太字と細字があるのはなぜか
書体で種類を区別しているためです。細字 は数ひとつ(スカラー)、太字 は数が並んだベクトル、大文字 は行列。太いほど中身が多いと覚えます。
太字の a の肩に乗っている (l) は何か
層目、という番号です。べき乗ではありません。カッコが付いていたら番号。
記号を書かずに並べる掛け算と、⊙ の違いは
並置は行列積で、他の要素と混ぜ合わせます(順序を変えると結果が変わる)。 は要素ごとの積で、同じ位置どうしを掛けるだけ・形も変わりません。混ざるか、その場に留まるかの違いです。
分数の形をした ∂L/∂W を、声に出して言うと
「ラウンド エル・ラウンド ダブリュー」。意味は「W を少し動かすと、損失 L がどれだけ動くか」。下が原因、上が結果です。
逆伝播の式に転置の記号が出てくるのはなぜか
行き(入力→出力)で使った重みの表を、帰り(出力→入力)に読み直しているためです。名簿の縦横を組み替えているだけで、新しい情報は増えていません。